the way you speak


The writer of this article talks about her disciplinary father who was born in the Meiji period. He actually slapped her when she told him that a pen holder “broke” instead of saying that she brok the pen holder. He yelled and was very strict for his child. His blood pressure was always high, and he moved up and became the bran manager at an insurance company despite his lack of sufficient education. What do you think about reading this article? It’s quite shocking because of the way this father disciplined his daughter, and it was quite common among fathers born at that time. The writer looks back and reflects on her late father’s nature and still thinks of him fondly.

大事にしていたものを、壊してしまったことがありますか。

小学6年の時、父に買ってもらったガラス製の筆立てを落として割ってしまった。

「買ってやった筆立てはどうした」

失くなっているのに気がついた父が、たずねた。

「壊れました」

軽い気持ちで答えると、急に語気を強め、

「もう一度言ってみろ」

あっ怒られるな、と一瞬思った。でも、もう一度オズオズと言った。

「壊れました」

すると、いきなり平手で頬を張り飛ばされて、私はあお向けに畳の上に転倒した。

「ちゃんと言ってみろ。おまえが壊したんだろう。それとも、じーっと見ているうちに、筆立てが自然にパカッと割れたのか」

とてつもなく威圧的な声だった。私は喉をヒクつかせながら、つまる声で答えた。

「落っことしました」

すると、父は少し声を落として、

「そんなのは壊したというのだ。壊れたというのとは全然違うんだ。」

そして紙に鉛筆で、「壊れた」「壊した」と書き、私の顔につきつけると「どうだ、違うだろ、ハッキリしろ、これからも、ずっと、そうしろ」と命令した。父が立ち去ったあと、私はくやしくて嗚咽が止まらなかった。正直いってなんとひどい親だろうと恨みもした。

明治生まれの父は、格別の教養もなく、保険会社の支店長までつとめたありふれた日本男児である。血圧が高く、趣味みたいに怒っていた。長女の私は、父の怒りをもろにかぶっていた。

その父も10年前に亡くなったが、今思うとけっして子供に媚びず、手かげんしなかった生き方は立派ではないか。おかげで、自分で考え行動する習慣がついたし、そういう意味では感謝している。

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