Japanese house layout


2DKという呼称がある。2は寝室が二つあることを示し、DKはそれにダイニングキッチンが付属していることを意味している。もちろん、当然必要な便所や浴室、収納部が完備していることを暗黙に了承している。

同様に3LDKは三つの寝室にリビングルーム+ダイニングキッチンの、都心のマンションでいえば、高級な住居の間取りを意味している。

この一般的な呼称は、もっとさがって不動産やのガラスに貼ってある、例の紙にある「6、3、が、水、便専日当良交通至便」と同様、ある特別な雰囲気、意味を持っている。

つまり、いまや一般的なこの呼び方の意味するところは、部屋の大きさ、その質、持っている設備、間取りにおけるそれぞれの関係などをいっさい無視して、いったいこの家には部屋数がいくつあるのかだけを示しているのだ。こうした呼称が発生し定着してくるには明らかな理由がある。

日本人の戦後の経済至上主義の中に育てられた意識は、あらゆるものを数字かし、数字かされないもの、目にそれと見えないものはいっさい評価しえない、という姿勢を生んだ。

家の評価をするときに、まず第一に「坪何万円でできた」ということで評価し、使いやすいか、空間がよいかなどの、数字にならない部分に関してはいっさい黙殺してしまう姿勢である。部屋の数などはその中でもっともわかりやすい部類に入る。

これにつけこんで、建て売り業者やマンション業者が、「とにかく部屋数さえ多くあれば、同じ売価なら部屋数の多いほうが売れる」と読んで、四畳に五畳に六畳、と狭い全体を細分化し、まるで犬小屋の連続のような家をつくって売りさばく。

不幸なことに、馬鹿な買い手たちはこんな内容にはほとんど目もくれず、部屋数がいくつかあるだけで購入を決定してしまう。とにかく内部の質の問題は第二なのだ。(略)ここでは、間取りの概念が消えてしまって「間数」の概念だけが支配してしまっている。悲しいことだ。

当然のことだが、僕たち設計者は間取りのデザインー専門用語でいえば、プランニングにその設計の大きな部分を費やす。「間取りをつくること」ということばに「すべてを計画する」という意味のプランニングという言葉をあてているのも、間取りをつくるという作業がいかに全体を包含する作業であるかを示しており、だからこそ間取りが生活そのもののほとんど規定してしまうことを人々は知らない。(略)たとえば台所が独立していない居間の一隅にあって、リビングキッチンふうになっていて、玄関から一歩リビングに入るとすぐ台所コーナーが見えてしまうという間取りがあるとき、一般的な評価は「この居間何畳かしら。。八畳、それとも十畳?」という数字的な部分だけでしかない。

しかし、この部屋を実際に使うと、リビングという部屋の一隅にキッチンがあるのだから、くつろぎたいというスペースとどちらかというと作業の場である台所が共存しているので、それがモロに見えてしまうわけで、居間の落ち着きがなくなるし、来客のあるときなどはどうなるか、という次のことはだれも考えない。

この場合、家を快適な生活、または休憩の空間だと考えようとすると、台所はつねに整頓され、清潔に保たれていなければならず、そのために主婦は午前のワイドショーなどというテレビ番組の前に釘付けされるわけにはいかなくて、サッと食器類を荒い、流し台の上をふきとるという敏速な生活性を要求されるのだが、自分は決してそのタイプではない主婦たちでもそれに気がつかず、ただ部屋の大きさだけで判断してしまうことは前述のとおりである。(略)

リビングルームという部屋、家族それぞれの個室、設備のととのった台所やユーティリティーこうした現代住宅の間取りのパターンもほぼ定着し、かかっているのだが、人々はまだ、そのパターンがどのように生活を規制するか、またはそうした間取りの中で何か可能であるかに気づいていない。(略)

間取りとは部屋数のことではないのだと、みなにわかってもらえるときがこない限り、こうした日本的悪しき間取りはいつまでも消えないだろう。

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