Japanese children

閉じている?日本のこども(写真投影法で心の様子を探ると)

日本の子供は「自分の部屋、おもちゃ、窓の景色、イタリアの子供は「部屋から始めて家族、近所のおじさん、そして街並み」ー。二つの国の子供たちにカメラを預けたところ、出来上がった写真はこんなに違っていた。子供をめぐる環境の違いがくっきり表れているといえそうだ。

調査したのは東京のシンクタンク「ヒューマンルネッサンス研究所」の中間真一研究員。写真を通して子供たちの心の様子を探るのが目的で、この「写真投影法」の発案者である京都造形芸術大、野田教授の指導を受け昨年夏、両国で実施した。

中間さんは「イタリア人は「自分のため」「家族のため」が価値観の中心。国や社会のためという考え方からとても遠い。

日本との比較がしやすいと考えた」と説明する。

対象にしたのは東京の小学三〜五年生二十人とイタリア中部の都市ペルージャに住む十〜十四歳の七十人。「好きなものを何でも撮っていい」と二週間、二十四枚撮りのレンズ付きフィルムを一人一個ずつ預けた。

「予想はしていたけれど、こんなに差が出るとは思わなかった」と中間さん。まず気がついたのは、フィルムの使い方。二本lの子供たちはほとんどがフィルムを残していたが、イタリアでは全員が使い切っていった。

「二週間もあったのに、日本の子供のほとんどがフィルム半分で撮るのをやめている。好きなものが少ないのか、それとも忙しくて撮る暇がないのか。たぶん両方だと思う。」

被写体には、さらに歴然とした差があった。日本の子供の写真の舞台は大半が自分の部屋。写っているのはテレビゲーム機やプラモデル、ぬいぐるみ、お菓子、机、ポスターなど。人物はめったになかった。登場していても、家族にシャッターを押してもらった自分の姿か、友人や家族が出てくる写真の複写といった程度。

「外に出ないで狭い所でモノを撮り、外の景色も部屋の窓越しに撮影。人間関係や環境に対して閉じていくような写真が多かった」

イタリアの子供の写真には日本と違ったパターンがあった。最初に両親や兄弟など、次に自分の部屋や自慢のモノ、そして外に出て近所のおじさんやおばさん、近くの通りや森などの景色へと広がっている。イタリアの子供がまず撮ろうと思ったのが家族だということがよく分かる。そこから外の世界に出発する。日本の子供はモノで完結し、外に出ていかない。

「日本の子供が家族や地域社会、環境などに対して閉じているようで気になる。一昔前までは日本にもあったこうしたコミュニケーションの復活を考える必要があると思う」と中間さんは話している。

 

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