everything has souls
|十数年前、独特なチェック模様で著名なブランドメーカーからジャケットを一着購入した。柄がしゃれている。着やすくて、しわにならない。
茶、紺、グレイ、どのズボンともよく合う。ネクタイを締めれば、インフォーマルな衣装としてなんの不足もないし、Tシャツの上に羽織れば、カジュアルとしてわるくない。このとしてなんの不足もないし、Tシャツの上に羽織れば、カジュアルとしてわるくない。このとしてなんの不足もないし、Tシャツの上に羽織れば、カジュアルとしてわるくない。この上なく重宝で、旅行のときには。。。とりわけ海外旅行のときには、必ずといってよいほど頻繁にこれを利用した。海外取材の写真を見れば、ほとんどの場合、私はこれを着て写っている。
が、何年か着ていれば、当然、傷み始める。とりわけ裏地がほころび、色があせる。
五年前イスラエルに旅したときに、
ーこれが最後だなー
旅先で、さんざん着用して、旅程の最終日に捨てるつもりだった。
ところが、テルアビブのホテルで荷造りをしているうちに、
ーなにも知らない異国のゴミ箱に捨てることもないかー
いとおしさが湧いてきて、結局、持ち帰った。
翌年、チュニジアへ行ったときにも、その翌年、イタリアへ赴いたときにも、同じことを繰り返した。
ー品物にだった心があるだろうー
取材旅行は楽しいことばかりではない。ジャケットともなれば、私の体をしっかりと包んで苦楽をともにした仲ではないか。せめて最後は、日本の、我が家のゴミ箱で命をまっとうさせてやりたい。
そう思いながら、さらにトルコにも着ていき、エジプトにも持っていき、相変わらず持ち帰ってきた。もう裏地はボロボロだ。胴まわりが体に合わなくなった。さすがに着用するわけにいかず、それでもなお、クローゼットのすみで、最後のときを待っている。
このジャケットは極端な例であるけれど、
ー品物にだって心はあるさー
理性では信じていないくせに、私はビヘイビアにおいて幼稚なアニミズムを抱いているところがあるようだ。
五木寛之さんのショートショートに、
ーたしか「老者の墓場」というのがあったなー
と思い出す。
老夫婦が、十数年使い古した老者を所持している。文字通りのポンコツ車である。だが、そのころ、この国では、自動車の「起き逃げ防止法」が施行され、車が捨てられない。古い車を処分するためには、新車を買うのと同じくらい費用がかかる。老夫婦には、その値段がつかない。
「なんとかいい方法はないかなあ」
「捨て逃げ罪が重いし」
「廃車保険に入っておくんだった」
「今さら、それを言っても仕方ないでしょ」
若夫婦は夜ごとに同じぐちを繰り返していた。
すると。。。ある夜、ガレージのほうで物音がして、ポンコツ車がひとり走り出していく。持ち主は自転車であとを追う。
海の断崖まで。
ーやつは自殺する気なんだー
主人思いのポンコツ車は、みずから命を絶つことを決心したのだった。。。涙ぐましくもほほえましい情景は、原作で味わっていただきたい。四半世紀も昔の作品だが、今は「奇妙な味の物語」に収められている。おそらく五木さんもマイカーに対するアニミズム的な愛着から、この短い物語の発想を得たにちがいない。
郊外地の駅周辺を歩くと、自転車の置き捨てが目立つ。道路の一角を勝手に自転車置き場にしているケースも困ったものだが、明らかに捨てられた自転車も多い。
ー自転車にだって、心があるだろうにー
と、私は悲しくなってしまう。
今は錆びつき、雨にさらされ、走ることもままならない様子だが、そんな自転車にだって、かつては光輝いていた時代があっただろう。
「おい、自転車を買って来たぞ」
父親の声もろともに、家族全員が飛び出し、ながめて、さすって、試乗して、おおいに胸を弾ませる、そんな愛顧を受けた昔もあっただろうに。
あわれな末路を見るたびに秋風が冷たく感じられてしまうのである。